障害者の明日への主張 

銀鈴会ブログ 障害者の明日への主張

 

  

 

東京都第35回「ふれあいフェスティバル」

 

  東京都および公益財団法人日本チャリティ協会の主催で平成27年12月9日(水)に

  練馬区立練馬文化センターにて、作文入選者の表彰が行われました。

 


  障害者の明日への主張 ~社会参加への取り組みについて~
  第20回作文集

 

 

 

   「今、やっと穏やかな生活を…」                   篠田 乃武子


私は平成22年正月明け7日、喉頭癌甲状腺転移による声帯全摘をうけました。入院期間は1ヶ月、その間に見た『夢』のお話を書くことで、なぜ今こんなにも穏やかな生活を過ごせているのか、をご理解していただけると思います。
 1つ目の夢は、チョッと切ない夢です。真っ直ぐに延びた1本の道を、こう尋ねて歩いています。
「この辺りに声を売っている店はありませんかー、教えて下さーい、ほんの少しだけ声を分けてくださる方はいませんかー」誰も気にとめてくれません。ヒューヒューと喉元の孔からの音が聞こえるだけ。そのうち自分に全く声が出ていないことに気がついて、恐ろしくなって目が覚めると泣いているのです。2つ目は、術後麻酔から覚めると、唾液を飲み込まないよう、口の中に細いチューブが入っていたのですが、そんな時に見た笑える夢です。日頃の私の晩酌はプカプカと煙草を吸いながら、缶ビールを2本と赤ワインが1杯が決まりで「つまみ」はその日に残ったおかずと、ピリ辛の裂きイカが定番です。その潜在的な思いが夢に出たようです。口の中のチューブが裂きイカに化けていてクチュクチュ、チュパチュパと噛んでいるのです。本当に香ばしい味がするのです。実に現実味のある楽しい夢でした。 
  当たり前に声が出ていた時のあたり前が一番いい、にきまっています。でも無いことがあたり前に変わってしまった今、実は無い中にも出来ることがあり、本当に第2の声があることを知りました。

 この時から、これらの夢を見ることが少なくなりました。それは食道発声訓練所『銀鈴会』との出会いがあっったからこそでした。訓練者の中でも上達の早い方を横目で羨ましいと思いながら、私は丸3年がかりで25年春やっと卒業しました。「途中、退会もせず通い通したアンタは偉い!」とその日は自分に拍手を贈ってやりました。そして同年秋、憧れに思っていた訓練士の一員に加えさせていただいたのです。
 現在40名の訓練士は全員喉頭摘出者で、努力の結果訓練士になられた信頼のおける方々ばかりです。不安ばかりのスタートでしたが、いままで無条件に応援をいただいた分、教室の中で少しでも恩返しができたら!という思いがあり受けさせていただきました。1日も早くご家族や、お友達、いずれ社会復帰された時には臆することなく堂々と会話ができるよう、未熟ながらお手伝いができたら幸いだと思っています。障害者といえども、私以上にもっと辛く生きている人は沢山いらっしゃるし、生きようとしている人は沢山います。そのような方々は健常者以上に多種多様の生きる方法を見つけ出す術(すべ)を知っています。その姿は感服以外の何物でもありません。「人間のもつ力、未知なる能力に脱帽」です。
 私はいま71歳、失声という現実に戸惑い、泣きもしましたが、気が付いたこともあります。今まで平気で見過ごしてきたことや、感じないままに見落としてきたものを改めて拾い直す、いい機会が与えられたのではないか?ということです。ただ問題が1つ、この第2の声は今までとは大きく質が変わりました。子供さんに「蛙の声みたーぃ」と言われたことも…。子供は正直です。でもいいのです。この声も私の身体の一部なのだから!と思ったら気が楽になりました。
 皆様の周りに、もし私と同じ病で苦しんでいる方がいらっしゃいましたら、ぜひ一度『銀鈴会』に足をお運びください。第2の声は必ず見つけることができます。同じ仲間に会うために通う楽しさ、声が見つかった時の喜びを感じられたら今まで胸に仕舞い込んでいた『やればできる』という自信が必ず引き出せるはずですし、まったく別な、魅力ある世界が見えてくると思うのです。
私が師としている言葉があります。中国の思想家、荘子曰く!
『道のつくものには反復練習がつきものである。要は理屈を忘れること。忘れた時に身に付くもの。逆に言えば身に付いたら頭に置く必要はないので忘れるのだ』
 食道発声訓練もひとつの道です。いつになったら意識せずに当たり前の練習ができるようになるのか、道のりは遠く長いですが、1歩ずつ地道に進めて行こうと思います。

 

 

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